退職当日の気持ち(書き殴り)

仕事を辞めた。もう社会の歯車じゃなくなった。とはいえ日常が1つなくなるのは寂しいもので、寝落ちから目覚めた午前4時からはぼーっと夜明けを眺めていた。私がいなくなったとてまた1日が始まる。世界は回る。

間髪を入れず今日から新しい人が来る。結局歯車ってのは代替可能なんだ。社会なんてそんなものだ。

陰ではあれこれ言われてるかもしれないが、挨拶回りで掛けてくれたのは「頑張ってね」「(大学院なんて)すごいなあ」「お体に気をつけて」「また地元に戻っておいで」といった優しい言葉ばかりでこっちが拍子抜けした。ここで人に恵まれていたことに気づいた。飲み会もなく、普段は黙々と仕事をしていて全然みんなの人柄が分からなかったが、最後の最後で少し分かった気がする。もっとみんなのことを知りたかったな。

職場の上司はみんな「お父さん」「お母さん」的存在だった。特に課長は実母と同級生だった。課長に最後のお礼を言う時に泣きそうになったのは、一人暮らしを始めることになり親元を離れる感覚に似ていた。

最終出勤日は、少しでも後任の方に初期負担をかけまいと2時間半残業して仕事を終わらせた。残業代は申請しなかった。

こうして私のささやかな社会人生活は終わった。

外に出ると真っ暗なのは初めてだった。駐車場に向かう道では、もうこのルートを通ることはないんだと思うと泣いた。毎日通った道だった。あんなに仕事が嫌だと言っていたのだから、まさか自分が最後に泣くとは思わなかった。

同時に不安も押し寄せた。恐い。これからどうなるんだろう。未来は明るいと信じたい。私は何にでもなれる。でももし失敗したら…?

組織に属することはぬるま湯に浸かっている状態だと思うようになった。私は安泰を捨てた。

 

こんな静かな朝を迎えるのも最後だ。今日から、自由で、多様性があって、でも汚くて、競争の激しい地に足を踏み入れる。

期待と不安の中、新しい夢に向かって挑戦する自分に幸あれ。

大学院に合格しました。しかし…

学生と社会人は対極だと、私は思う。

「大学生には時間はあるがお金がない。社会人にはお金はあるが時間がない。」というのはうんざりするほど耳にした。

 

 

試験の申し込みを忘れ、民間企業の就職活動に失敗した私を見かねた先生が、大学院進学を勧めてくれた。

「2年後、再チャレンジすればいい」と。

それが7月末の話。

 

私は小学生の頃から平和について関心が強かった。音楽に次いで高い関心を持っていると思う。そのため、学部1年の時に履修していた平和研究の教授に師事したいと思った。

 

ただ、平和学に関する知識はゼロだった。大学院の授業も少し聴講したが、自分の無知を腹立たしく思った。問いに対してYes/Noは言えるが、その根拠が弱い。自分は何も知らない。知りたい。知ることで強くなりたい。それが私の原動力となった。

 

結論を言えば、大学院には合格した。

しかし、ここで大きな決断を迫られた。

実は既に、地元で就職できることが決まっていたのである。

 

就職か、進学か

 

たくさん悩んで、友人にも相談して、また悩んでを繰り返した結果、私が出した結論は、

就職「と」進学

だ。

 

どちらを選んでも自分の次のキャリアに繋がるはず。だったら、まずはどちらもとって、やってみればいい。やってみて、キャパオーバーしそうになったらどちらか辞めればいい。どちらも自分にとって通過点なのだから。

 

仕事と勉強の両立で時間もお金もなくなるだろうし、大変なのは重々承知だが、そんな心持ちでいるので幾分かは気が楽だ。

 

ということで、4月から学生兼社会人になります。対極の存在とどう折り合いをつけるのか、未来の自分に期待。そしてキャリアアップのための遠回り。

J’ai déterminé.

2019年は一言でいうと、

人生なにがあるか分からないな 

と強く感じた年だった。長期間留学していたこともあり、価値観もがらりと変わった。

 

留学中。

1つ上の先輩と、同じ学科のOBの方に出会って外務省の仕事に魅力を感じた。しかし、当時はいつか結婚したいと考えていたので外交官を目指すのを躊躇っていた。重い女だった。当時好きだった人と結婚できる保証なんてないのに。

 

私は帰国日を予定より1ヶ月早めた。表面的にはDELFという試験を受けるためだった。帰国して2ヶ月間は地獄だった。心身共にボロボロで、寝るかお酒を飲むかしかしていなかった。(一度失態を犯してスマホを壊した)

帰国日を早めたことについては後悔していないといえば嘘になるが、後悔しているわけでもない。本当は革命記念日まで残りたかったが、DELFに受かったからだ。時差ボケとストレスで眠れなかった&頭痛腹痛の最悪の体調だったにもかかわらず合格したことは自信になった。

 

夏休みに一人暮らしを再開すると同時に就活を始めた。自由になって、改めて自分のやりたいことは何か考えたら、『音楽』はもちろん、『世界を舞台に働きたい』という考えに行き着いた。そのとき、留学中OBの方と出会って、「この人と働きたい!」と思ったことを思い出し、外交官を目指すことに決めた。両親に頼み込み、予備校に通わせてもらうことができた。大学と一人暮らしと予備校。キャパオーバーになるのは怖いが、できるところまでやろうと思う。もし公務員がダメで、公務員のほかに考えている9社にも内定を貰えなかったら卒業を延ばす。

 

 

まさか自分が公務員を目指すなんて、結婚なんてしなくていいやと思うようになるなんて、新しい出会いがあるなんて思ってなかった。人生は小説より奇なり、という言葉があるが、こんなにひしひしと感じたことはない。留学という挑戦をしたことで私の人生は変わった。

 

2019年は「諦めない」という抱負で過ごした。2020年は「妥協をしない」1年にする。

ある人が、私は怖いくらい自分を持ってると言っていた。自分でもその通りだなと思う。私は自分が生きたいように生きる。自分の生き方に誇りを持ち続けたい。

凛とした強い女性になるぞ。これは人生の目標。

 

最後に、私を応援してくれる家族、仲良くしてくれる友達の存在の大きさにちゃんと気づけた1年にもなった。少しずつ恩返しできたらいいな。

 

2020年、2020年代もよろしくお願いします。

俺の初恋はロックンロール

私がロックを好きになった本当のきっかけは父親のおかげだ。

 

 

私の故郷は車社会である。そのため、移動は常に自家用車だった。父親の車は常にロックが流れていた。ストーンズスプリングスティーン、浜省、クイーン……

 

父親はCDもたくさん持っていた。実家のリビングの、天井まで伸びるほどのラックにびっしりとCDが並べられていた。

 

また、父親は土日祝日しか休めないので、よくテレビ番組を録画していた。

ある日、私がゴロゴロしていると、父親が録画していた番組をつけた。

まどろみながら見ていると、どうやらジョンレノンのイマジンの特集らしかった。

 

Imagine there's no country 

この歌詞とともに映し出される現状に私は一瞬で目が覚め、この特集に釘付けになった。当時の私よりも幼い年齢の子供が働きに出ている…

 

正直ショックを受けた。国境がなかったら、この子たちは私と同じように教育を受けていたのだろうか。国境がなかったら、貧困や戦争もなくなるのだろうか。私にできることはないのか。などと、幼心に思ったものだ。

 

この番組でジョンレノンを知った。そしてビートルズを知った。(事実、ビートルズを知るよりレノンを知るほうが早かったのである)

キャッチーなメロディ、語呂のいい歌詞に私はまんまとハマった。ちょうど実家にベストアルバム "1"   があったのですかさずウォークマンに入れて聴きあさった。

 

これが私の「ロックへの目覚め」である。

 

 

私は、中学から高校時代にかけて典型的な思春期の真っ最中におり、父親とも最低限の会話しかしていなかった。しかし今だから言えるが、根底では彼のことを認め慕っていたのである。ギターを始めたのも父が弾き語りをしているのを目の当たりにしたからだし週末に聞こえるHighway Starのギターソロにも実はうっとりしていた。

ギターを自在に操る父親に憧れてはいたものの、思春期だったため、父親のアコースティックギターを拝借してこっそり練習していた。

 

 

母親は、「なんでこんな人と結婚したんやろ」とよく言う。私も昔はそう思ったものだ。しかし今は、父親こそが私にとって理想の人だとさえ思う。そう思えるくらいには私は大人になったのだろう。

思春期が激しかった分、今は素直な気持ちになれる。

私にロックを教授してくれてありがとう。

 

 

最後に

 

私が現在使っているエレキギターは、

30年前、父親が学生時代に使っていたギターなのです。

この世界にはユートピアもディストピアもない

フランスから帰ってきて1ヶ月半が経った。
空港から外に出た瞬間、あ、アジアの空気だ と思った。匂いと湿気が。日本に着いた瞬間、なんとなく異国感を感じたと同時に、帰巣本能が働いたかのようにさっさと電車に乗れた自分もいて、不思議な感覚だった。あと全部日本語表記なことに嬉しくも違和感を覚えたな。


帰国して1週間は心ここに在らずという感じでふわふわしてた。さすがに今は帰国した実感があるが、まだフランスで見たもの、通った道、街の様子がありありと目に浮かぶ。留学は夢だったのかな、と思ったりもする。実際夢みたいな時間を過ごした。


中高では勉強と部活、大学では授業とバイトとサークルで時間に追われ続けていた日本での生活から解放され、自分の好きな勉強、趣味、やりたいことに没頭できる環境とありあまるほどの時間を手に入れた。
実際、長年学びたかった音楽を勉強できたし、楽器を買って地域のオーケストラに入ったし、暇な時はピアノを弾いていたし、睡眠時間は7時間以上とれたし、バカンスには旅行しまくった。


それでも時間が余った。
私が留学してよかったと思うことの一つは、この暇な時間に自分自身と向き合うことができた、ちょっとしたことでも考えるクセがついたことだ。哲学的なこともしばしば考えた。時間に追われていると素通りしてしまうような物事に立ち止まって考えるようになったこと、また心に余裕を持つ術を知ったことで、留学する前の私と今の私はどこか違うな、変わったなと思う。


でも、夢みたいなことばかりじゃなかった。フランスに行った当初は、日本での生活との差に「ここが理想郷か」と感じた。でも違った。私は生まれてから留学するまで、日本人であることを全く意識しなかった。人種差別を受けたことがなかったから。1番ショックだったのは、アジア人だからなのか日本人だからなのかは不明だが、挨拶したら無視されたこと。フランスは移民の国というが、アジア人の数は少ない。だから中国人・朝鮮人・日本人の区別がつかない人も大勢いる。物珍しさからだろう、すれ違いざまに「おい中国人!」と声をかけられたこともある。間違えるんじゃねえ!と変にナショナリズムを発揮し、"日本人らしさ"という呪縛からなかなか逃れられなかった。日本とは違う窮屈さだった。これについてはちょっと後悔している。もともと引っ込み思案な性格に拍車をかけてしまった。(そんな自分が嫌になり最後のほうにはもう どうでもいいや と吹っ切ったが)


フランスは従業員間で連携が取れておらずすぐ「それ私の仕事じゃないから別の人に言って(c’est pas à moi)」と言うし、電車はよく遅延する&キャンセルされる(supprimé)し、冬は寒くて長いし、まじで何百回も「フランスはクソ」って言ってたけど、それでも私はフランスが好きだ。我が道を行く精神、他人のことは気にしない、干渉しない。そんな環境が大好きだった。私のやることなすことに誰も口出しをしないので本当に楽だった。

 


日本の"みんなと同じが正義"という文化が嫌いだ。あとフランスから帰ってきて ゆるふわ が嫌いになった。そして日本人働きすぎ、イライラせかせかしすぎ(でも歩くのは遅い)、失敗を許さなすぎ。便利な世の中になって効率が良くなったのはいいことだけど、便利すぎるせいで心の余裕を失うのは人としてどうかと思う。
あと、お客様は神様という文化。私自身、飲食で働いた経験があるが、すごく忙しい時に呼ばれると「ちょ待てよ」と思う。呼ばれるだけならいいが、イライラせかせか不機嫌そうにされると「お前いい加減にしろよ」とキレそうになる。ちょっと周り見て?忙しそうにしてるでしょ?待って?急いでるんなら来ないで?

フランスでは注文時、基本的には店員を呼ばない。フランスは従業員≧客なので、お客さんは店員が来るまでおしゃべりしながら待つ。この構造は銀行でもスーパーでも同じなので従業員側は働きやすそうだなと羨ましかった。


こんなに日本をdisっているものの、やはり日本にも好きなところがあって。ワンコインで食事ができるし、和食は健康にいいし、温泉大好きだし。日本人でよかったなと思ったりもする。

 


フランスに行って分かったのは、この世界にはユートピアディストピアもないということ。どの国にもいいところもあるし悪いところもある。長期間滞在することで、旅行だけでは見えない部分まで見えた。きつい言い方をすると、"現実を目の当たりにすること"、これも留学の一つの醍醐味かもしれない。

ディズニーランドパリ 備忘録

先日、ディズニーランドパリに行ってきた。アトラクションなど日本と異なる点を多々感じたので備忘録として残しておく。

 

☆ディズニーランド☆

・it's a small world

日本のコーナーがわりと大きめだった。北アメリカ大陸って東京にあったっけ?自由の女神とかハリウッドとか印象に残った。f:id:chezminachi:20190328080916j:plainf:id:chezminachi:20190328080949j:plain

・Alice's curious labyrinth

アリスを舞台にした迷路。植木が普通に身長より高くて普通に迷う。

 

・ビッグサンダーマウンテン

特記することがない。長さもコースも東京と同じ感じ。

 

・Indiana Jones et le temple du péril 

日本で例えるならレイジングスピリッツ。1回転するし、屋外だし。博士が出てくるなどストーリー性はなかった。

 

・Pirates of the Caribbean

日本とは落ちるタイミングが違った。レストランがあるのとストーリー展開はほぼ同じ。登場人物がフランス語を喋ってた…笑

 

ハイパースペースマウンテン

いわゆるスペースマウンテンだが、上昇スピードが少し速いのと1回転するのが違う点。

 

☆ウォルトディズニースタジオ☆

アルマゲドン〜特殊効果〜

アルマゲドンを見たことがある人ならもっと楽しめただろうなあという感想。隕石にぶつかってボロボロになっていく機体の内部にいるような感覚を体験できる。

 

・クラッシュコースター

ファインディング・ニモに出てくるカメ、クラッシュの甲羅に乗るジェットコースター。人気なのにファストパスがなくて常に待ち時間が長かった。日本でいう、ユニバのスペースファンタジーザライドみたいな感じ。

 

・Ratatouille

レミーのおいしいレストランのライド。日本で例えるならユニバのスパイダーマン。3Dメガネをかけて乗って、映像を中心にストーリーが展開するスタイル。慣れないネズミの視点なので酔いそうになった😂

 

ロックンローラーコースターavec Aerosmith

個人的に1番面白かったアトラクション。2回乗った笑 スタート直後が結構スピード出ててスリル満点、スタートして5秒後くらいに1回転、のちエアロスミスの曲が爆音で流れる。待ち時間にはいろんなロックスターのポスター眺めたりグラミー賞受賞したロックスターが飾ってあったり飽きなかった。

 

タワー・オブ・テラー

日本とストーリー設定が違った。エレベーターに乗った家族が4次元に吸い込まれて…て感じだった。ライドの感じは日本と同じ。途中外の景色が見えたり。ただシートベルトが腰だけのやつで、それだけは怖かった。笑

 

・Animagique

ミッキーが魔法を使ってディズニーのいろんな世界に乱入するショー。歌手とダンサーのクオリティが高かった。ミッキーはフランス語を喋るのに他の登場人物は英語というカオスな状況だった。

 

☆総合☆

・サービスは日本よりかは劣るが気になるほどでもない。むしろフランスに住んでたらいいぐらい。店員さんが笑顔でBonjour/Merciと言ってくれる。

・ゴミ落ちてなかったしちゃんと拾ってくれる。(なめすぎ)

・フランス人意外とノリ悪い

・1人で来てる人の少なさ!クルーの人が「え?1人なん?」て表情してたのバレバレやからな!

・ペアルックいない、家族連れ多い

・家族連れが多いので混むアトラクションが違う。インディージョーンズとか常に20分待ちとかでびっくりした。逆にプリンセスグリーティングが1時間待ちとか。

・お城のプロジェクションマッピングは閉園後にやる。この日は20時閉園のはずなのに始まったの20時過ぎだった。

・この日は10時開園のはずなのに30分前には開園した。(よくあることらしい)

・レストランは物価は高いが量も多いので少食な人にとってはある意味コスパ良い。

・暗いところを走るコースター、1回転するコースターが多い。でもそんなに怖くない。ユニバのフライングダイナソーの方が怖い。

・アナウンスは基本フランス語+英語。重要なやつはそれプラス、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、オランダ語

ストリートミュージシャンになった話

私は今フランスに留学している。留学が決まった頃から、何かしら どんな形でもいいからフランスに爪痕を残したいと企んでいた。爪痕を残せなかったら私の留学は失敗なのだ。それくらい本気だった。

 

さて、では何をしようか。

私はコミュ障なのとフランス語能力が低いので親しい友達を作って一緒に旅行に行くなどはできない、単位も取れる自信がない、彼氏ができる気もしない()

 

いや待てよ。

音楽があるじゃないか。というか私には音楽しかない。

フランスは、観光地では特に、毎日といっていいほど誰かが音楽を奏でている。日本でも駅前や高架下にそういった方々がいるが、日本で演奏するのはどうも恥ずかしくてできそうになかった。

しかしここは異国。

たとえ1つや2つ失敗したところでどうせ数ヶ月後にはいなくなるんだし と考えたら気が楽になった。

こうして私は ストリートミュージシャン として フランスに爪痕を残すことに決めた。

 

 

私の音楽理念はこうだ。

①音楽はすべての人に平等である

②音楽で世界を変えることができる

 

…何を急にかっこつけたようなこと言ってるんだと思うかもしれないが、残念ながら実際そうなのである。

 

大抵ストリートミュージシャンは演奏者の前にお金を入れられる箱を置いている。もちろん、これを生業としてる人もいるのだろう。

私はそのような箱を置かなかった。「お金はいりません」という意思表示をしたかったのだ。

私はお金稼ぎのために音楽をするのではない。純粋に私の音楽を聴いてほしかった。裕福な人にも、貧乏な人にも、白人にも、黒人にも、黄色人にも

 

(※もちろん、私がアマチュアだから誰もお金を入れてくれないんじゃないかという不安もあって置かなかったという理由もあるが、もし私がめちゃめちゃ上手かったらこんなことせずにさっさとプロになっていたはずだ)

 

そして、私は日本の音楽をやることにした。単純に日本のことを知ってもらいたかったから。知らない曲ばかりだとつまらないので外国人が知ってそうな曲を多めにして。

ヨーロッパにとってアジアというのは遠い遠い国だ。昔アジアのことを 極東 と表現していたが、今も変わらない。インターネットの普及により、日本の文化や食を知る外国人は増えてきた。

しかし日本の音楽を知っている人は果たしてどれくらいいるのだろうか。

日本にはこんな音楽があるんだよ ということを知ってもらって、欲を言えば興味を持ってもらえたらいいな と思って選曲した。

音楽も国と国を繋ぐ架け橋になる。音楽で世界は変えられると本気で思う。

 

と、ここまで豪語したものの、いざ実行に移すとなるとこれはこれは緊張の度を超えて緊張した。ここ数年で1番緊張したんじゃないか。冷静に考えてほしい。一人で家から楽器を持って観光地である大聖堂に赴き、広い敷地で一人で演奏するのである。まさに独壇場。

外に出た瞬間と、大聖堂に着いた瞬間

あ、帰りたい

と思った。でもここまで来たらもう戻れない。賽は投げられた…!と自分を奮い立たせて挑んだ。

 

結果、ボロボロだった。

立ち止まって私の音楽を聴いてくれる人もいた。嬉しいことなのだけど、"見られてる"というのに意識が行ってしまい、さらに緊張して音は間違えるわリードミスするわで散々だった。

 

それでもやってよかったと思える出来事があった。

「お金はいりません」という意思表示をしていたのにもかかわらず、私のカバンにコインを入れてくれた人、一緒に写真を撮ってくれた人、曲を知ってる日本人に「感動しました」「頑張ってください」と言われたこと。

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(多いとか少ないとか嬉しい悔しいといった気持ちはなく、ただただありがとうという気持ちだった)

 

こんな私でも誰かの心を動かすことができる。

この一歩は終わりではなく始まりだ。次こそは満足のいく演奏がしたい、そう思いながら今日も練習に励む。