新年に振り返り

あけましておめでとうございます。

2019年が始まって1週間が経ってしまったけど。

2019っていう数字があまりピンとこなくて、本当に2019年は存在するんだろうかと思っていたが存在したね。

 

今回はここに新年の抱負を綴りにきたんじゃない。2018年の振り返りをしにきたのだ。インスタやFBなど媒体はいくらでもあったのだが、別に見せびらかしたいわけではないし、かといって自分の内だけに留めるのもなんだかなあと思ってブログにした。見たい人だけ見る、みたいな。

 

2018年は絶望の中の希望から始まった。2017年暮、私は一通の紙を受け取った。交換留学不採用の通知。私は競争が苦手である。交換留学志望者のための面接があったのだが、そこでの手応えからして もしかしたらダメかもな… とは思っていたものの、いざ不採用の文字を突きつけられるとやはり悲しくて悔しくてやるせない気持ちになった。

さて、過ぎたことはどうにもならないのでどうしたら留学できるか血眼になって調べた。どうやら私費でも大学留学ができるらしい。

 

しかしここで難題が。

私費で申し込むには、語学力スコアの提出をしなければならなかった。急いで試験に申し込んだ。試験日の1ヶ月前である。お正月を返上して勉強した。

 

2月。語学力試験が終わったあとは春休みを満喫した。この時期に留学に行く子もおり、別れるのが悲しかった。

 

3月。私は所属するサークルのジャンルリーダーになった。3年生が幹部の代というのと、ジャンル内で私と同じ時期に入部した人がいなかったからだ。でも正直、私は上手くない。他のリーダーと比べたらダンスへの熱もなかった。でもやると決めた以上はやりきろうと思った。不安と劣等感に苛まれながらだったけれど…

 

4月。学校祭に向けてダンスと軽音と、1つずつだったけど全力を尽くした。きっと最後の学祭だったから。

 

5月。は特記することがないな…平和でいつも通りの生活を送った。

 

6月。ディズニーと有馬温泉に行った。大きな地震が起きた。自分史上最大の揺れで怖かった。

 

7月。私はジャンリーを引退した。留学が決まったからだ。嬉しかった。交換留学(の学内選考)で落とされた大学に受かったのだ。説明会などの関係で京都に通った。

 

8月。アパートを引き払うまで、会いたい人に会いまくった。会えなかった人もいた。浴衣を着て花火を見に行った。1つ1つが 留学前最後なんだ と感じ寂しかった。

 

9月。新しい生活が始まった。初めてのヨーロッパ、初めてのフランス。現実逃避が始まった。同じ大学から正規留学生は私1人。プチ孤独との戦い。

 

10月。誕生日をフランスで祝ってもらった。ワインに詳しくなろうと思った。

 

11月。オーケストラに入った。自分への誕生日プレゼントということでクラリネットを買った。

 

12月。フランスでの生活もすっかり慣れた。旅行と勉強と映画と。好きなことを好きなだけやった。

 

この1年で気づいたのは、諦めなければ夢は叶うということ。交換留学には落ちたけど、ちゃんと約1年間留学することができた。大学のオーケストラには落ちたけど(オーディションがあった。先ほど述べたように私は競争が苦手なのだ)、地域のオーケストラに入ることができた。

この2つの夢は自分の中では結構大きな夢だった。

私は諦めが悪いと自覚しているが、それはこのように諦めなかったことで叶えられた夢があるからだ。

 

どうか今年も “諦めの悪い” 自分でいてほしい。

平和ボケ

街にクリスマスツリーが出現し、人々がクリスマスに心を踊らせる中、

ストラスブールでテロがあった。

 

現場はクリスマスマーケットの近く、観光客がたくさん集まる通りだった。報道によると死傷者は14人だという。

 

ストラスブールに来て3ヶ月が経ったが、未だかつてとりわけ大きな事件などなくて、こんな平和な街に、なんで…と強くショックを受けた。

 

真っ先に考えたのが家族のこと。今回はたまたま助かったからよかったが、明日は我が身かもしれないし、こんな形で一生会えなくなるのは嫌だ。

それに、年末に家族が来るのである。うちは裕福ではないので、海外旅行というのはものすごく贅沢なことだ。ましてヨーロッパ、フランスというのは初めてで、私が留学した当初からすごく、すごく楽しみにしてることがメッセージ上でも分かる。

そんな矢先にまた今回のようなテロがあって、旅行の思い出が台無しになったら、最悪事件に巻き込まれてしまったら…と考えると本当に怖い。正直、来ないで、と言おうか迷った。

 

人づてに聞いた話だが、犠牲者の1人はタイから観光に来ていただろう夫婦のうち1人で、もう1人は家族連れのお父さんであるらしい。両者とも、大切なもの、守るべきものがあるのに、無念にも金属の引き金により命を奪われたのである。

 

 

日本でも、自然災害はあるもののテロなんて外国の事件だと思って、だからこそ日本で起こるはずないと思ってたし、その感覚で所謂「外国」に来てしまった。危機感があったのは最初だけで、ストラスブールの平和さに甘えてしまっていた。でもだからといってテロを正当化するつもりは毛頭ないが、やはり危機感というものをほんのちょっとでも持つべきだと思った。

 

この時期のストラスブールでは中心街に行く際荷物検査を行なっているが、いささか検査の質に疑問を抱くところがあった。実際のところ え、ちゃんと見てなくない?大丈夫? と思うほど警備が甘い。人が多いときなんか、警備員の目を盗んで素通りすることだってできる。

おいおいこんなんでいいのかよ…と思っていたらこれである。

 

一度平和に慣れてしまったら、やはり「平和バイアス」がかかってしまうのかもしれない。事件を未然に防ぐことが最上だが、起きてしまったことは仕方ない。これからどうするか。

最後に、犠牲者への追悼の意を込めて。合掌。